8/20 鎮魂行

 今日はSAQの日。そして法話では広島での災害について私の知る範囲での被害についてお話ししようと思ってました。

 しかし、残念ながら今日は何もできませんでした。

鎮魂行の声が小さいというのは定期的に言っているのですが、今日はそれよりもショックなことがありました。

 信頼して班長を任している拳士が鎮魂行をまったく唱えていないことがわかりました。以前から気にはなっていたのですがしばらく様子を見ていましたが、もう限界です。

 そんなことで鎮魂行の後、私のカミナリが・・・。

最後にもう一度鎮魂行をやり直してそのまま年少部の練習は終わりました。

 皆さんそうだと思うし、本当に基本で当たり前の事なのですが、私は鎮魂行をもっとも練習の中で大事にしています。私は鎮魂行が出来ない拳士は拳士ではないと思っています。ですので、体験練習会などでももちろん鎮魂行から入ります。鎮魂行には少林寺拳法の拳士として共有すべき事が凝縮されています。鎮魂行で何度も唱えているうちに潜在意識の中に少林寺拳法の教えをしっかりと叩き込み、されに技術を学び、体と心を鍛えるという事が大事だと私は思っています。

 技ができないと叱ることはまったくありませんが、挨拶と鎮魂行が出来ないと私は思いっきり叱ります。それだけ誰でも出来る事で、基本となるべき事だからです。

 鎮魂行をきちんと唱和してる拳士はうちの中で見てみると、なぜか昇級もはやいし、上達が早いです。なぜかは私にもわかりませんが、きっと今自分が出来る事を一つずつしっかり取り組んで、一つずつ出来る事を増やしていっているからかもしれません。

 ですので、覚えるまではいくつになってもどれだけ級や段が上がっても読本などをもって鎮魂行に取り組むようにいつも言っています。
 それだけ言ってるにも関わらず、知らん顔で気づかれないからいいやという気持ちで取り組んでいたことが非常にショックでした。

 彼らには信用、信頼は得るのは難しいが、失うのは簡単である。社会は人と人との信頼関係で成り立っている。人は色々な人に支えられて生きている。だから人を裏切るような行動は絶対にとらないで欲しいと、しかしなんらかの理由で信頼を失ったとしても、もう一度得るために一から努力することを忘れないでほしいということを伝えました。

 一般部でも特に一般部になってから入ってきた拳士が鎮魂行についての意識が低いように感じていたので同じ話をしました。

 せっかく道場の新兵器を楽しく紹介しようともっていたのに残念です。
 ま~色々な事があるのも道院長ならでは。私自身がもっとしっかりとみんなと向き合っていればこんなことにはならなかったと私自身に対してとても憤りを感じる反省の一日でした。

 写真は新兵器です。つい購入してしまいました(=_=)20140821_220229

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